斎王とは…
天皇の代わりに伊勢神宮の天照大神にお仕えしていた女性のことで、天皇の娘や姉妹などの中から未婚の女性から選ばれ都から遠く離れた斎宮(現 三重県多気郡明和町斎宮)で暮らしていました。
斎王は、飛鳥・奈良時代から約660年、鎌倉時代の頃まで存在して、672年の壬申の乱の後、天皇となった天武天皇が、勝利のお礼に伊勢へ仕わせた自分の娘・大来皇女(おおくのひめみこ)が最初の斎王と言われています。

斎王を選ぶのは、卜定(ぼくじょう)と呼ばれる、亀の甲羅を使った占いで選ばれました。
甲羅を焼いてできた亀裂の形で候補者の吉凶を占ったとか。

斎王に選ばれると、3年間ほど都で準備をしたあと、斎王群行(さいおうぐんこう)と呼ばれる5泊6日の旅をして、斎宮へと行きました。
斎王の主な役目は年に3回、10月の神嘗祭と6月と12月の月次祭の時にお詣りすること。
3泊4日をかけて伊勢へ赴き、天照大神に大玉串を捧げるという祭祀を執り行ったのです。
それ以外は斎宮で貝合わせや歌詠み、船遊びなどをしながら朝廷の権威を示し優雅な生活を送っていただろうといわれております。

660年の間に60人以上存在したと言われている、斎王のなかには2〜3歳で選ばれた人や、結婚を考えていたのに結婚できなかった人、斎宮で叶わぬ恋をして愛しい人を港から見送った人、神に仕える身ゆえに恋をすることも許されず、己の命を絶って身の潔白を証明した哀しい人や、恋ゆえに斎王を解任されたり、恋人と引き裂かれたりした人など、さまざまな斎王がいたと伝えられています。

斎王が役目を終えるのは、天皇が次の天皇に位を譲った時や、天皇や斎王の身内が亡くなった時、または斎王自身が病気にかかった時などでした。
長い人で、50年も務めた斎王もいるとか。役目を終えるまで、決して都へ帰れなかったそうです。

斎王まつりとは…
1983年(昭和58年)地元婦人会の有志の皆さんが、斎宮跡発掘調査もすでに始まっていたこの地で「斎王をお祀り」しようということではじまったこの「斎王まつり」も30余年の歳月が流れました。
その意思は今も受け継がれ、660年間続いた斎王制度に多くの人々がかかわったように「斎王まつり」の四半世紀もまた多くの人々に支えられ、斎王の歴史の中に位置づけられるようになりました。
今そのまつりの見所は、都から遠く離れた伊勢の地に群行された様子を再現した「禊の儀・出発式・斎王群行・社頭の儀」。
また、『伊勢物語』の中に描かれた、在原業平と恬子内親王(斎王)がモデルと言われる恋物語でふたりはこの大淀の地で歌を詠み交わし、別れを惜しんだと伝えられています。

初日の夜の前夜祭は特に近年、ステージのライトアップでの艶やかさは眼を見張るものがあります。
また、二日目日曜日の禊の儀にはじまり斎王群行・社頭の儀は平安絵巻さながらのムードをかもし出しています。
それにくわえ、約100を超えるテントでの出店や屋台などで子供から大人まで楽しめるまつりに成長しました。
これら「斎王まつり」は全てがボランティアの皆さんで、企画・運営されております。




<斎王群行出演者の衣装紹介>